週にひとつの問いを、金曜22時に。
未明
M I M E I — PHILOSOPHICAL ESSAYS
わかる、の少し手前で書く。
最新 第二十夜「「いただきます」は誰に言うのか」→ SCROLL未明について
未明は、週にひとつの問いを置いていく場所です。哲学者の解説でも、答えの提供でもありません。日常のありふれた一語や一場面から始めて、哲学者をひとりだけ同行者に借りて、歩けるところまで歩きます。結論では締めません。どの夜も、最初より少しだけ鋭くなった問いで終わります。
書いているのは、昼は数字を扱う仕事をしている、ひとりの会社員です。名乗りは、そのうち。
すべての夜は、この四つの段でできています。
すべての夜
「いただきます」は誰に言うのか
——誰もいない部屋で、なぜ手を合わせるのか。一人の食卓と、モースの贈与論。
読む →故郷とは、どこのことか
——帰ってきたはずなのに、客の気分でいる。帰省の違和感と、ヴェイユの根。
「報われてほしい」と祈るとき
——他人の努力の帳尻が、なぜ自分のことのように切実なのか。終了間際の交代と、スミスの共感。
「私たち」は、どこで終わるのか
——自分のものでもない悔しさを、なぜこれほど本気で抱えるのか。負けの夜と、アンダーソンの想像の共同体。
観測者の孤独
——よく見ようとするほど、なぜ対象の外へ出てしまうのか。スタジアムの片隅と、ネーゲルの眺め。
作り手であること
——買えば済むのに、なぜ作らずにいられないのか。深夜の手と、アーレントの仕事。
「気がする」について
——どこが、とは言えない。なのに「なんか変な気がする」。そしてその勘は、しばしば当たる。後輩の数表と、ポランニーの暗黙知。
友達とは、何の関係か
——数えられそうで数えられないこの関係。同窓会の帰り道と、アリストテレスの友愛。
約束について
——明日どう感じるか分からない人間が、なぜ未来を約束できるのか。ニーチェの記憶。
「すみません」と言うとき
——感謝の場面でまで詫びてしまうのはなぜか。エレベーターのひと言と、和辻の間柄。
「自分らしさ」という重荷
——本当の自分は、見つけるものか、選ぶものか。プロフィール欄の空白と、サルトル。
「ちょうどいい」を探して
——なぜ適量はマニュアルにできないのか。後輩への小言と、アリストテレスの中庸。
退屈について
——やることはあるのに手が伸びない、あの感じ。日曜の午後と、パスカルの気晴らし。
「そのうち」という時間
——あの「そのうち」は、いつ来るのか。積ん読の背表紙と、アウグスティヌスの時間。
なぜ働くのか、と訊かれたら
——即答できないのは、あれが実は三つの問いの束だからかもしれない。
数字にならないものの値段
——値段がつかないものは、価値がないのか。月末の締めと、ジンメルの貨幣。
「ふつう」はどこにあるのか
——「ふつうの暮らしがしたい」と言うとき、私たちはどこを指差しているのか。
なぜ僕らは、わざわざ遠くへ行くのか
——あらゆる場所が画面で見られる時代に、「そこに立つ」ことの何が代えがたいのか。
「面倒くさい」の正体
——五分で終わる皿洗いを前に、私たちはいったい何を測っているのか。
「待つ」について
——遅延した山手線と、ベルクソンの時間。何もしていないのに、なぜ疲れるのか。
問いの棚
各夜の終わりに置いてきた「今夜の問い」だけを、ここに並べています。どれかが引っかかったら、その夜へ。
支援と書架
未明は、ひとりで書いて、ひとりで灯している場所です。もし夜のどれかが手元に残ったなら、続けるための火に、ひと口だけ薪をくべてもらえたら。
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